出る杭は打たれるという⾔葉がありますが、そんな⺟への⾵当たりは強かったようで、悔し泣きをしながら花を⽣けている姿を何度も⽬にしました。それを⾒ているのが⾟くて「やめてしまえばいいのに…」と思っていました。美しいものを作ることに喜びを感じていましたから、いけばなは好きでした。でも、こんな⼤変な世界で⽣きるのはいやでした。ですから、⺟の跡を継ぐなんて考えられませんでした。中学、⾼校では部活に夢中になり、⼤学では体育学科へ進学。卒業後は体育の教師として学校に勤務し、出産を期に退職。その後、⺟のたっての願いで、理苑会のサポートをすることになりました。副家元という⽴場で、作品制作の⼿伝い、華展の企画と進⾏、会場構成、草⽊の⼿配、運搬など、あらゆることを⼿伝いました。⺟はあふれるエネルギーを全開にしていけばなの世界を広げていきました。⼀⼈ひとりが花という素材を使って美しい形を作りあげる喜び。⼒を合わせて展覧会の花空間を創りあげる醍醐味。花に囲まれ、その⾹りに包まれる幸福感。花を⽣ける⼈たちを⽀える仕事はやりがいがありました。何より、花にふれて笑顔になる⼈を⾒ていると⼼が満たされました。
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