瀬尾理祥いけばな教室2
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花を通じてたくさんの笑顔を咲かせたい⽣まれた時から、花がいつもそばにありました。⺟は華道家。古流理苑会(こりゅうりおんかい)を創流した初代家元でした。⼩さい頃の遊び場は、いけばなのお稽古部屋でした。お弟⼦さんたちが花を⽣ける様⼦を眺めながら、残りの枝や茎を剣⼭に挿したり、折り紙をしたり。夜のお稽古の時はかたわらで眠っていたそうです。⼀⼈っ⼦だった私にとって、⺟はとても⼤切な存在でした。ですから、いけばなに打ち込む姿を⾒て「邪魔をしてはいけない」と思っていました。⾏事のある⽇に熱が出ると申し訳ない気持ちでいっぱいになり、「ごめんね。ごめんね。」と謝っていました。いつも⺟の笑顔を⾒ていたかった。それが私の宝物だったのです。⺟は⽣涯のすべてをいけばなに捧げた⼈でした。⾃分の才能を伸ばすための努⼒はいとわず、花とお弟⼦さんたちに全⾝全霊で向き合い、猛烈な勢いで展覧会を企画し、存在感を放つ作品を発表し続けました。「次世代に残すために」と、⾮の打ち所のない作品を掲載した作品集も出版しました。

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