第1章 華への想い2. いけばなの歴史貴族・公家・武⼠(=男⼦)の⽂化 から、武家・商家の娘、花魁の教養へと変わっていきます。(遠州・宏道流・古流・松⽉堂古流・未⽣流等 ⾊々な流派により、)⽣花の概念が⽣まれ、現在のいけばなにつながる形ができあがりました。明治・⼤正・昭和屋敷には床の間があり床の間には掛け軸と花が飾られ、⽞関に花を⽣けて客⼈をもてなす様になりました。⻄欧の花を⽤いた盛花など新しい時代のいけばなが創流⼥学校の正課に取り⼊れられるなど⼥性の嗜みという位置づけもされるようになりました。いけばなの⼤衆化⽣花教室の始まりとなります。⼤戦後 平成今までの全てが否定されるような⻄洋⽂化が⽇本に⼊ってきました。前衛いけばなが台頭し、植物の枠を超えた造形などの作品も発展し、⻄洋⾄上主義で華やか・きらびやかな、物の豊かさを求める時代に合わせてフラワーアレンジメントやブリザーブドフラワーなど、新たなお花の⽂化もできてきました。多くのお花をつかってお⼿軽に持ち運びもでき贈り物にも重宝でした。⼀般住宅では様式も変わり和室や床の間は洋間になり⽞関には機能性を重視されたシュークローゼットになっていきました。共働きも増え家の機能が変化したことにより、いけばなでおもてなしすると⾔う⽂化がいつの間にか特別な場所に飾られる特別なものとなりました。
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